桜田淳子 花物語~そこにみるものは [歌]
1973年のレコード大賞新人賞は熾烈だった。
そして、当時のレコード大賞には、今では信じられないくらい権威があった。
レコード大賞新人賞のステージに立ったのは、浅田美代子、安西マリア、桜田淳子、あべ静江、アグネス・チャンだった。
僕らが、息をこらして見守った最優秀新人賞の審査の結果は、桜田淳子さんに決定した。
当時、テレビに釘付けになり、ホッとした気持ちとともに、新鮮な驚きがあった。
しかし、その後の彼女の活躍を見るにつけ、それは当然のことだった。
しかし、なぜ桜田淳子だったのか。彼女すら、自分の力だけで勝ち得たものではなく、みんなの力の結晶だということを、何度も自分に言い聞かせていたといわれる。
喜びに浮かれるのではなく、その意味を知ろうとする15歳の少女の姿勢にこそ、最優秀賞がふさわしいのかもしれない。
その後行幾たびかの賞を受賞するが、彼女の反応は同じものであり、周りを気遣い、山口百恵という友を気遣い、決して浮かれることなく次に向かう姿勢がそこにあった。
14歳にしてその考え方は確立していたといっていい。それは、彼女の親友が上京の際、彼女に送ったとされる手紙の影響であるのか、彼女の人間性そのものであるのかわからないが、周りを気遣うのは彼女の根本的な考え方であることは間違いない。
最優秀新人賞の受賞により、桜田淳子は、当時国民的アイドルの天地真理の後継者の最有力候補となった。しかし、その天地真理を超えるものでなければ後継者とはなり得ないと思う。
桜田淳子が桜田淳子であり得た理由、そして、当時の国民的アイドル天地真理ではもはや表現できないもの、それが、天地真理の後継者足りえた理由ではないかと思う。
後継者は、コピーではなく、独自の輝きとともに、才能を持つものだと思う。
それは、彼女の演劇的素質にある。
彼女の4枚目のシングル『花物語』にこそその秘密が隠されている。
この曲の語りとしてのセリフは、彼女の秘められた素質を世に知らしめた。そして、アイドルの正統的な後継者であることを関係者に知らしめるには十分であったと思う。
この思春期を歌い上げる姿こそ、天地真理の表現できなかった部分だと思う。
新人賞の審査員たちは、受賞曲こそ『わたしの青い鳥』であったが、彼女の秘められた才能を見たのであろう。
それは、作詞家阿久悠氏が、デビュー前の彼女にみた光景と同じものだったかもしれない。
しかしながら、もはや蛍光灯の淡い光に包まれたものではなく、解き放たれた輝きだったのではないか。
そこに見たものは、それまでの音楽ではなく、アイドルの新しい形であった。 アイドル文化は、日本独自の新しい時代を迎えた。
それは、脈々と今も受け継がれている。
追伸
動画のUP主様に感謝します。